2009年09月03日

「自分は辛い」と認める事

今、自分が辛いとする。
そしてその辛さを我慢して誰にも言わず、
ただひたすら耐える道を貴方が選んだとする。

その行動は本当に、貴方が思う程賞賛に値するだろうか。
貴方が本当は辛いのに「辛い」と言わないのは何故か。
貴方は「辛い」と言わないのではなく、言えないのではないだろうか。
辛いと言えば世間に「甘ったれ」と言われる。
辛いと言えば「貴方よりもっと辛い人がこの世にはたくさんいると責められる。
辛いと言えば本当に救い様のない、恐るべき暗闇を直視する様な気がする。

だからたった一言、「辛い」と言えない。

それは抑圧と言う。

貴方がたった一言、「本当は辛い」と漏らした時、それを批判する様な人は、
貴方の友人ではない。
貴方とその人は生きる価値観からして決して折り合わない。

貴方がたった一言、「本当は辛いんだ」と安心して漏らせる相手ならば、
貴方の真の友人足りうる。
少なくとも、貴方が辛くても、その人は辛くはない。
辛い貴方を1人の人間として認めてくれている。

私は今辛い。体力的にも精神的にも辛い。
人生なかなかウマくは行かない。
しかし、ただ辛いと認める事で、自分に寄り添う事ができる。

少なくとも自分の本当の感じ方を抑圧せず、今の自分とそれを取り巻く環境を、
冷静に見る事が出来る。
辛い私はこれからどう歩めば良いのか。
まだ耐えられるか。もう耐えられないか。何か他にも選択肢があるか。
ここから何を得ているか。ここで何を失っているか。

辛い事を認められないという事は、悲しく、愚かである。

自分は辛いと認める事で、やっと道は開ける。



yuji_barman at 22:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!

2009年08月31日

他人からどう見られているかを、甘んじて受け入れる

「優しい」と言われた。
また、「優し過ぎる」と言われた。

「癒される」と言われた。
また、「どんくさい」と言われた。

「強い」と言われた。
また、「Mだろ」と言われた。

「偉いよ」と言われた。
また、「良い歳して」と言われた。

人によって、私という人間を受け止めるのにこれほど違いがある。
私は、出来る限り優しくて強い人間になりたいと思っている。
私は確かに、優し過ぎるかもしれない。「過ぎる」というのはつまり、
ある人にとっては私は決して反抗しない、気の弱い、頼りない存在なのかもしれない。
つまりある人にとって私は無駄に優しい。

私は確かにどんくさい。決して「出来る」人間ではない。
むしろ出来ない方だったからこそ、生きるのがひたすら辛かった時期がある。
正確には出来ない事を出来るように四六時中演じる事で孤独に疲弊していった時期がある。

私は確かに多少マゾヒスティックである。
私の青春時代は、不当な圧力や要求にひたすら耐え忍ぶ病的なものだった。
私はその成長過程で、反抗する事への過剰な不安を身体にしみ込ませてしまった。
故に、ある人には非常に従順な、虐めやすい人間に見えるだろう。

私は確かに世間的には良い歳に当てはまる。
私はそれほど世間知らずという訳でもない。
一般的に語られる30代の男性に見合う十分な収入と、パートナーと、ある程度の社会的地位
そのどれもが、私にはない事を自ずと理解している。
この「一般的基準」を己の価値基準として捉える人にとっては、
私は「普通」には属さない。つまり基準値を大幅に下回る私は、
彼等にとって普通以下であろう。
私を見下したり軽蔑する人がいるのは頷ける。

彼等の目に映るどの私も、私には違いない。
彼等がそう思うのは客観的な事実である。

私はそれをどうこうしようとせず、納得して手放して良いのだ。
彼等の持つ私への印象を、心外と思う必要もない。
私はそうしてありのままの自分を、まず甘んじて受け入れ
私なりに一歩一歩進めば良い。

「もっとこう見られたい」「自分がもっとこうだったら」
そう思う事もある。

しかし私は私なりにしか歩めない。
歩めないのに、私はずっと本当の自分を憎んで、殺して生きてきた。
「なんで自分はこうなんだ」
実は、その自分こそがありのままの自分。
孤独に泣いている自分。
人から好かれる事、嫌われない事に腐心していたが、本当はとても悲しかった。
空しかった。

私はどんくさい。社会的には無能。世間的に良い歳。気が弱く、決して反抗的ではない。
それでも私には私なりの、かけがえの無いドラマがある。

私は私の人生の為に、私なりに一生懸命生きている。



yuji_barman at 23:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!日記:他 

2009年08月14日

31歳

31になった。
自己不在に苦しんで生きた我が30年近くを振り返ろうとしても、
目の前の問題(夢)が山積み状態の今は、然程感傷的にもならない。

今の私には、この歳にして、やってみたい事、成し遂げてみたい事、いっぱいある。
30年間生きてきて、成し遂げようとして成し遂げた事は何一つない。
虚無感に苦しみながら逃げ惑うように生きた私の青春時代は、
辛く、暗く、悲しい思い出でもあるが、
過ぎ去ってみればあれは、これからを生きるための準備期間でもあったのではないか。
私は30年近くも蛹(さなぎ)だった。
30年近くも地中で寝てたとすれば少し長過ぎるようではあるが、
その分、これからを思い切り生きる事が、私には出来る気がしている。

慣れたとは言えない接客業のスケジュールをこなすのに精一杯な今の私は
プロフェッショナルな人々に言わせれば相当ひ弱かもしれない。
私は世間的にはもう良い歳かもしれないし、
その割にはあまりにも無学かもしれない。
それでも良い。

この人生はたった一度しかない。本当に一度しか、ないのだ。
今、こうしているこの瞬間は、二度とは還ってこないのだ。

だから、

泥だらけで、不格好でも良いじゃないか。
自分の意志で思い切り生きてみたい。

傍目にはずっと一人きりかもしれない。
それでもきっと、あの暗い孤独にはもう負けない。
辺りを明るく照らせるくらい、輝いて生きてみたい。

私は、思い切り生きてみたいんだ。

yuji_barman at 22:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!日記:他